海外体験記 vol. 1 アトランタで感じた恐怖と安堵
海外旅行というテーマで強烈に印象に残っているのは、私が初めて一人で海外に行った際の恐怖と安堵の体験だったので、思いつくままに書いてみたいと思います。
あれは、10年以上も前のことです。当時、学生だったのですが、外国語が苦手で私はスペイン語の単位の取得に苦戦を強いられていました。
高度な文法に完全にお手上げ状態だった私が前期のスペイン語のテスト終了後に真っ先に取った行動は、先生への直談判でした。
「来週からメキシコへ行ってきます。それも一人で。1ヶ月、生活できたら単位をもらえませんか?」
ただ困り果てるスペイン語教師を尻目に颯爽と教室を出る私。
そして、すぐに大学のパソコン室へ向かいました。
そこで最安値のメキシコ往復航空券を販売する旅行代理店を見つけ、その足で都内にある支店へと向かい、なけなしの貯金を全て使い航空券を購入しました。
貯金を使い果たした私は、超有名海外旅行ガイドの「メキシコ版」のみを購入し、不安を感じる余裕もなく異国へと旅立ちました。
当然ながらメキシコシティへの直行便のチケットを買えるはずもなく、15時間後に私が降り立ったのは、アトランタでした。
メキシコシティ行きの飛行機は20時間後の出発ですので、ただ待つには時間が長すぎます。
そこで、とにかく街に出てみようと考えました。今考えると、全くもって無謀です。
なぜならば、メキシコに行くことだけを考えていたので、トランジットのアトランタについては、情報が皆無だったからです。
知っていることとすれば、オリンピックをやっていたこと、ブレーブスの本拠地であることくらいでした。
スペイン語ばかりか英語に関しても疎かった当時の私ですが、何とか市街地まで行くモノレール(※本稿を書きながら調べたところ、MARTAでした)に乗り、アトランタ中心街に向かいました。
(おそらく)ファイブ・ポイント駅に到着したのはまだ明るい時間で、人が賑わっていました。
その後日本に進出する人気レストランで食事をし、周辺の洋服や雑貨の店などを見て回りました。
すると、突然ガラガラと大きな音を立てて周りの店が堰を切ったかのようにシャッターを閉め始めたのです。
外は、まだまだ明るいのにです。
そして、ふと気づくと街からは人影がなくなっており、また閉まったシャッターには、オドロオドロしい落書きが描かれていました。
そう街が突然、スラム街へと変化を遂げたのです。それはもう、世にも奇●な物語を彷彿とさせる光景でした。
私は、一瞬にしてパニックに陥りました。その結果、空港まで帰るMARTAの駅の場所が分からなくなり、途方にくれスラム街と化した街の中で彷徨いました。
公園では火を焚いて叫んでいる若者や目つきの悪い人々が、もの珍しそうに見ている視線を避けながら、とにかく駅を探しました。
その時です。30m以上手前から、向かってくる人影を察知していながらも蛇に睨まれたカエル状態の私に、大柄な人が「Yo! man!」と話しかけてきたのです。
相手との距離は、1mもありません。
ただキョトンと佇むことしかできない私。
そして、相手の腰には日本では警察官しか付けていない逆三角形のホルダーが何やらぶら下がっています。この時の恐怖は、今でも夢に出てきます。
もうダメだと思いながら、よくよく話を聞いてみると、
ライターを貸してほしいと言っているようでした。
無理やり笑いながら、ライターを差し出すとライターに印字されていた漢字を見て、何やら喜んでいるようでしたので、絞り出すような声で「Give you」と言いました。
相手は、よほど嬉しかったようで、私にはよく分からないワードを連呼しながら、小躍りしていました。
ここぞとばかりに私は駅までの道案内をお願いし、無事に夜の空港にたどり着くことができたのでした。
そんな九死に一生を得るような思いをした私ですが、
後から調べてみると、アトランタは犯罪が非常に多い都市であり、
やはり私が踏み込んだのは、中でも危険地域だったようでした。
当時は、海外に行ってから治安情報や交通情報、地図などを調べる方法がなく、
事前に全てのことを想定して調査し、プリントアウトして持参しなければ、無知であるがゆえに危険な目に合うということがありました。
現在はイモトのWiFiをバッグに入れ、スマートフォンで調べることができるためより安心して海外旅行ができるようになりました。
こうした安心できるサービスをこれからもお客様に提供していきたいと思います。
ちなみに、スペイン語はメキシコへの渡航についての加点は一切されず後期のテスト前に猛勉強をしなければならなかったことは言うまでもありません。